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使徒聖マチア              St. Matthias Ap.          祝日 5月 14日


 ある日聖ペトロが使徒達を代表して「主よ、私共は一切を棄ててあなたに従いました。その代わりにはどんな報酬が得られましょう?」とお訊ねすると、聖主は「我に従うた汝等は、世あらたまって人の子がその光栄の座に就く時、同じく12の座に就いてイスラエルの12族を審くであろう。」とお答えになった(マテオ19・27−28)。この偉大な権能を与えられる使徒達が如何に立派な人物であったかという事は、たとえその各自の生涯の事跡を詳かにせずとも、この聖言に依って十分推察されるのである。実際イエズスに選ばれた使徒達に就いては伝えられている所甚だ少ない。聖パウロは別としても、他の方々はその布教された場所や死去の有様位しか知られていない。大部分はそれすら判明していないのである。これは一体何故かと言えば、彼等は万事に聖主のみを人々の尊敬の的とし、自分等は唯その救いの御業の道具と選ばれただけで満足していた謙遜の為と考えられる。聖マチアに就いても信頼するに足る記録は使徒行録の一節の他にはない。

 それによれば主の御昇天後、裏切り者のユダを除いた11使徒等を始め、弟子達120人ほどが一堂に集まった時、聖ペトロは口を開き、「兄弟達よ、畏れ多くも大恩ある主を敵に売り渡したイスカリオテのユダは、聖書の預言にある如く、悲惨な最期を遂げましたが、詩編の言葉に『他人、その務めを受くべし』とありますから、速やかにその後任として、主イエズスがヨハネの洗礼を受け給うた時から、御昇天になった日まで、私共と一緒にいた何人かを一人使徒職に選び、主の御復活の証人にしたいと思います」と提議し、バルサバとマチアの二人を候補者とし、熱心に祈りを献げて天主の御旨を知る為彼等にくじを引かせた所、マチアが当選して使徒の仲間に加えられたというのである。かようにマチアは天主御自身の御鑑定に適った方であるから、必ずやその徳も高くその信仰も厚かったに相違ない。

 昔の伝説に依れば聖マチアは使徒に選ばれてから間もなくエルサレムを去り、異教の国々を廻って熱心に布教し、遂にエチオピアにおいてまさかりで打ち殺され、聖教の為命を献げたとの事である。また他の伝説によればコンスタンチノ大帝の母君ヘレナは聖マチアの遺骨を発見し、自分の住むドイツ地方のトリールに移したと言われ、今もその町の大聖堂に聖マチアの遺骨というのが保存されている。

教訓

 「後の人は先になり、先の人は後にならん」(マテオ 10−6)との主の聖言はイスカリオテのユダと聖マチアとにその実例を見出す事が出来る。ユダは先に召されたが、貪欲の奴隷となったばかりに信仰を失って使徒の栄冠を奪われ聖マチアは後に召されたにも拘わらず、堅く信仰を守って之を与えられた。されば我等も聖い信仰を最後まで忠実に守り通すよう度々決心を新たにし、その為聖寵を天主に祈り求めねばならない。